整え方

“がんばらない趣味”の選び方|上達志向が休息を壊す話

がんばらない趣味を楽しむイメージ|上達を手放してリラックスする時間
hanapapa

趣味を始めたのに、なぜか疲れていた

「何か趣味を見つけたい」。そう思って、いくつか手を出してみたことがある。

カメラ。筋トレ。料理。読書。どれも楽しそうだと思って始めた。最初の数日は新鮮で、気分転換になった気がした。

でも、しばらく経つと、どれもじわじわと「義務」に変わっていった。

カメラを買ったら、構図を勉強しなきゃと思った。筋トレを始めたら、記録をつけて成長を可視化しなきゃと思った。料理を始めたら、もっとレパートリーを増やさなきゃと思った。読書を始めたら、月に何冊読めたかが気になりだした。

気づいたら、趣味の時間が「もうひとつの仕事」になっていた。休むために始めたはずなのに、趣味が新たな疲れの原因になっていた。

上達志向が、趣味を壊していく

なぜ趣味が疲れるものに変わってしまうのか。僕なりに考えた結論は、「上達志向」だった。

僕たちは子どもの頃から、何かを始めたら上手くなるべきだと教わってきた。勉強も、部活も、仕事も、成長することが正義。努力して、結果を出して、次のレベルへ進む。その価値観が、趣味にまで染み出してしまう。

SNSがそれを加速させる。誰かの上手な写真を見れば、自分ももっと上手くならなきゃと焦る。ランニングアプリのタイム記録が、純粋な散歩を「トレーニング」に変えてしまう。読書記録アプリが、本を「消化すべきタスク」に変えてしまう。

趣味に「成長」を求めた瞬間、それは休息ではなくなる。仕事と同じ構造が、趣味の中にもう一つできてしまうのだ。

“がんばらない趣味”という選択肢

僕がたどり着いたのは、「がんばらない趣味」を意識的に選ぶという考え方だった。

がんばらない趣味とは、上達を目的にしない趣味のことだ。うまくなろうとしない。記録をつけない。誰かと比べない。ただやっている時間そのものを楽しむ。

これは怠けているわけじゃない。「趣味に休息としての機能を持たせる」という、意識的な選択だ。

仕事では成果を求められる。育児では正解を探し続ける。だからこそ、趣味の時間だけは、成果も正解も関係ない場所にしておきたい。

がんばらない趣味の3つの条件

どんな趣味が「がんばらない趣味」になるのか。僕が意識している条件は3つある。

1. 上達の天井が低い、または存在しない

上手くなる余地が無限にある趣味は、つい上を目指したくなる。逆に、すぐにそこそこのレベルに到達してしまう趣味は、上達のプレッシャーから自由になれる。

たとえば、ハンドドリップのコーヒー。数回淹れれば、そこそこ美味しく淹れられるようになる。プロのバリスタを目指すわけじゃないから、「このくらいでいい」と思える。その「このくらいでいい」が心地いい。

2. 記録や数字と無縁でいられる

タイム、回数、冊数、フォロワー数。数字がつきまとう趣味は、どうしても「もっと」を求めてしまう。

散歩は、距離を測らなければ純粋な散歩でいられる。スマホを持たずに歩けば、歩数も記録されない。数字から離れることで、「ただ歩く」ことが目的になる。

3. 成果物を人に見せなくていい

SNSに投稿することを前提にすると、趣味の目的が「発信」にすり替わる。誰にも見せない前提の趣味は、自分だけのものとして純粋に楽しめる。

ノートに落書きする。ベランダで植物に水をやる。近所の川をぼんやり眺める。どれも、誰に見せるものでもない。だから、うまくやる必要がない。

僕が見つけた「がんばらない趣味」

偉そうなことを言っているけれど、僕自身が見つけられた「がんばらない趣味」は、どれも地味なものばかりだ。

コーヒーをハンドドリップで淹れる

お湯を沸かして、豆を挽いて、ゆっくり注ぐ。この工程に集中している間は、他のことを考えなくていい。味の違いを追究しすぎず、「今日もまあまあ美味しい」で満足する。それがちょうどいい。

目的のない散歩

どこに行くかを決めない。何分歩くかも決めない。気が向いたら曲がり、飽きたら帰る。スマホは家に置いていく。歩くこと自体が目的で、それ以上の意味はない。

焚き火を眺める

キャンプで焚き火をするとき、料理もせず、本も読まず、ただ炎を眺める。火の揺らぎには「上達」がない。何分見ても、うまくも下手もない。ただ見ているだけで満足できる、究極のがんばらない趣味だと思う。

空を見る

ベランダに出て、空を見上げる。雲の形を眺める。夕焼けの色が変わっていくのを追いかける。それだけ。上達のしようがない趣味だけど、不思議と心が落ち着く。

「それって趣味と呼べるの?」への答え

こう書くと、「それは趣味じゃなくて、ただぼーっとしてるだけでは?」と思う人もいるかもしれない。

正直、その通りだと思う。でも、それでいい。

趣味とは、自分の時間を自分のために使うこと。それ以上の定義はいらないと思っている。アウトプットがなくても、スキルが身につかなくても、誰かに語れるものがなくても。自分が心地よいと感じる時間を過ごしているなら、それは立派な趣味だ。

「何が趣味ですか?」と聞かれて、「コーヒーを淹れることです」と答えると、だいたい「豆にこだわってるんですか?」と聞き返される。こだわっていない。ただ淹れているだけだ。でも、それが僕にとっては最高のおふたいむになっている。

がんばる趣味を否定しているわけじゃない

誤解のないように言っておきたいのは、上達を目指す趣味を否定しているわけではないということだ。

マラソンでタイムを縮める。ギターで難しい曲を弾けるようになる。カメラで作品を撮る。それらは素晴らしいことだし、達成感は間違いなく大きい。

ただ、すべての趣味にそれを求めると、休む場所がなくなる。だから、がんばる趣味ひとつに対して、がんばらない趣味をひとつ持っておく。そのバランスが大事だと思う。

仕事でがんばって、趣味でもがんばって、育児でもがんばる。そのどこかに、がんばらなくていい時間を挟んであげないと、心のメモリがいつかあふれてしまう。

まとめ:趣味の中に「何もしない」を入れてみよう

趣味に疲れているなら、それは趣味の選び方を変えるタイミングかもしれない。

上達しなくていい。記録しなくていい。見せなくていい。ただ、その時間が心地よければいい。

がんばらない趣味は、何も生み出さない。でも、何も生み出さないからこそ、消耗した自分を静かに満たしてくれる。

今日のおふたいむ、何もがんばらずに過ごしてみてほしい。それだけで、明日がほんの少し軽くなるはずだ。

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はなぱぱ
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娘大好き父
忙しい毎日の中で、 いつの間にか「立ち止まる時間」がなくなっていました。 このブログは、 ロードバイクやキャンプをきっかけに、 自分のペースを取り戻す過程を記録する場所です。 完成形ではなく、 試しながら整えていく、その途中を書いています。
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