忙しい毎日に足りなかったのは、休みより“静かな時間”だった
忙しい毎日が嫌だったわけではありません。
やることがあるのも、役割があるのも、悪いことではない。
ただ、気づくとずっと何かに追われていて、何もしない時間のほうが落ち着かなくなっていました。
休みを増やしたかったというより、
自分のペースに戻れる静かな時間が欲しかったのだと思います。
そんなときに、自分にちょうどよかったのがロードバイクとソロキャンプでした。
速さや特別さを求めるものではなく、無理をせず、外に出て、少しだけ立ち止まるための手段として。
これは、その感覚を忘れないための記録です。
忙しい毎日に足りなかったのは、休みより“静かな時間”だった
休みが欲しかったわけではないのだと思います。
もちろん、疲れているときは眠りたいし、何もしない日があったら助かることもあります。
でも、本当に足りていなかったのは、休日の数よりも、自分のペースに戻れる静かな時間でした。
仕事や家庭のことを大事にしようとするほど、日々は自然と埋まっていきます。
やるべきこと、考えること、判断することが次々に出てきて、気づけば一日が終わっている。
休みの日ですら、平日にできなかったことを片づけたり、家のことを進めたりして、結局また「ちゃんと動いた一日」で終わってしまうことも多くありました。
それ自体が悪いわけではありません。
ただ、ずっと何かの役割の中にいる感覚が続くと、自分がどんなペースでいると心地いいのかが分からなくなってきます。
静かな時間というのは、単に音がない時間のことではなくて、急かされず、比べられず、次の判断を迫られない時間のことなのだと思います。
何かを達成しなくてもいい。
何かの意味をすぐに求めなくてもいい。
そういう時間が、忙しい毎日の中には思っていた以上に少なかったのだと、あとから気づきました。
自分にとってロードバイクとソロキャンプがちょうどよかったのは、その静かな時間を、無理なくつくれる手段だったからです。
ロードバイクは、速く走るためではなく、自分のペースを取り戻すためのものだった
ロードバイクというと、速さや距離のイメージを持たれやすいかもしれません。
でも、自分にとってのロードバイクは、誰かと競うためのものではありませんでした。
むしろ逆で、無理をしないと続けられないものではなく、無理をするとすぐに苦しくなるからこそ、自分の状態にちゃんと向き合わされるものだった気がします。
その日の体調。
風の強さ。
坂の長さ。
どのくらいの荷物なら気持ちよく走れるか。
少しでも見誤ると、途端にしんどくなる。
だからこそ、自分の感覚を置き去りにできません。
忙しい日々の中では、頭が先に動いてしまうことが多くあります。
やるべきことを考えて、段取りを組んで、次のことを見越して動く。
それが必要な場面はたくさんあるけれど、ずっとそればかりだと、体の感覚が後ろに下がってしまうことがあります。
ロードバイクに乗っていると、そういう順番が少し変わります。
呼吸が苦しくないか。
脚に無理がないか。
今の速度は気持ちいいか。
頭で考えるより先に、体のほうが答えを返してくる。
それに合わせて少し力を抜いたり、ペースを落としたりしながら進んでいく時間は、何かを頑張るというより、自分のペースを思い出していく感覚に近いものでした。
速くなくていい。
遠くまで行けなくてもいい。
今日はここまで、と思えるところで止まればいい。
そうやって自分の感覚に合わせて進める時間が、今の自分には必要だったのだと思います。
ソロキャンプは、豪華な体験ではなく、ただ外で過ごすための手段だった
ソロキャンプも、自分にとっては特別なことをするための趣味ではありませんでした。
景色のいい場所に行きたい気持ちはあるし、外で過ごす時間の気持ちよさも好きです。
でも、それ以上に大きかったのは、ただ外にいて、やることを増やしすぎずに過ごせることでした。
コーヒーを淹れる。
椅子に座る。
少し本を読む。
何もしないまま、ぼんやり景色を見る。
自分にとっては、そのくらいで十分でした。
日常の中では、「せっかく時間があるなら、何か有意義なことをしたほうがいい」と思ってしまうことがあります。
でも、外で過ごしていると、その考えが少しゆるみます。
何かをこなさなくても、ただそこにいるだけで気持ちが落ち着いてくる。
それがソロキャンプのよさでした。
豪華な道具や凝った料理がなくてもいい。
予定を詰め込まなくてもいい。
むしろ、やることが少ないほうが、自分にはしっくりきます。
たぶん、自分が求めていたのは「非日常」そのものではなくて、日常のスピードから少し離れられる時間だったのだと思います。
ソロキャンプは、そのための手段としてちょうどよかった。
頑張る場所ではなく、少しゆるめるための場所として。
この二つに共通していたのは、無理をするとすぐ崩れること
ロードバイクとソロキャンプは、まったく違う趣味のように見えるかもしれません。
でも、自分の中では似ているところがあります。
それは、無理をするとすぐ崩れることです。
ロードバイクなら、走力以上の距離を頑張れば、あとでしっかり疲れが残ります。
荷物が多すぎれば走りにくくなるし、ルートを欲張れば気持ちよさは減っていきます。
ソロキャンプも同じで、持ち物を増やしすぎたり、やりたいことを詰め込みすぎたりすると、途端に落ち着かなくなります。
便利そうだからと持っていった道具が、実際には手間を増やすこともある。
せっかく外にいるのに、設営や片づけに追われて終わってしまうこともあります。
どちらも、「足せばよくなる」とは限らない趣味でした。
むしろ、自分に必要なものを見極めて、減らしていくほうが心地いい。
それは、普段の暮らしにも少し似ています。
忙しくなってくると、足りないものを探しがちです。
時間が足りない。
気力が足りない。
もっと効率よくやる方法が足りない。
でも実際には、何かを増やすより、増えすぎたものを少し減らすほうが、楽になることもあります。
ロードバイクとソロキャンプは、その感覚を体で教えてくれるものでした。
足し算ではなく、引き算で整えること。
それが自分には、すごく合っていたのだと思います。
出かける前の準備の時間から、もうおふたいむは始まっている
外で過ごす時間が好きになってから、気づいたことがあります。
それは、おふたいむは現地に着いてから始まるものではない、ということです。
ロードバイクの空気圧を確認したり、チェーンの状態を見たりする時間。
キャンプに持っていくものを並べて、減らせるものはないか考える時間。
天気を見たり、ルートを考えたり、コーヒーの道具をひとつ選ぶ時間。
そういう準備の時間も、自分にとっては大事な一部でした。
もちろん、準備が面倒に感じる日もあります。
でも、慌ただしい日常の中で、ひとつずつ手を動かしながら整えていく時間には、現地で過ごす時間とはまた違う静かさがあります。
準備をしていると、少しずつ気持ちが切り替わっていきます。
忙しい日々の流れの中から、ほんの少しだけ、自分のための時間が立ち上がってくる感じがある。
その感覚が好きです。
だからたぶん、自分が惹かれているのは、ロードバイクやキャンプという出来事そのものだけではありません。
そこへ向かうまでの、静かな手順も含めて好きなのだと思います。
まだ完成していないまま書いていきたい
道具も、過ごし方も、まだ全然固まっていません。
これが正解だと言えるほど経験があるわけでもないし、毎回うまくいくわけでもありません。
持っていったのに使わなかったものもあるし、逆に「これはあったほうがよかった」と思うこともあります。
気持ちよく過ごせた日もあれば、疲れが勝ってしまった日もあります。
でも、それでいいのだと思っています。
何かが完成してから書こうとすると、たぶんずっと書けません。
うまくできたことだけを並べても、自分の記録としては少し違う気がします。
今の自分に合うものを探しながら、試して、減らして、また少し変えていく。
その途中の感覚こそ残しておきたい。
合わなかったことも、迷ったことも、うまくいかなかったことも含めて、自分にとっては大事な記録です。
このブログも、何かをきれいに教える場所というより、そういう途中の感覚を置いていく場所でありたいと思っています。
いつか、娘と一緒に外の時間を楽しめたらと思っている
今は、自分ひとりで試していることがほとんどです。
どんな持ち物がちょうどいいのか。
どのくらいの距離なら無理がないのか。
どんな過ごし方をすると、自分はちゃんと休めるのか。
そういうことを、少しずつ確かめながら整えています。
でも、その先で、いつか娘と一緒に外の時間を楽しめたらいいなと思っています。
特別なことをしなくてもいい。
遠くへ行かなくてもいい。
ただ風が気持ちよかったり、コーヒーの匂いがしたり、外で食べるだけで少し楽しかったり。
そういう時間を一緒に味わえたらうれしい。
そのときに無理をしないで済むように、今のうちに自分なりのペースを知っておきたい。
持ちすぎないこと。
詰め込みすぎないこと。
何もしない時間を楽しめること。
そんな感覚を、自分の中でちゃんと育てていきたいと思っています。
おわりに
おふたいむは、特別な予定のことではなく、意識して守らないとすぐに押し流されてしまう時間なのだと思います。
自分にとってロードバイクとソロキャンプは、その時間をつくるための、ちょうどいい手段でした。
速さを求めるためでも、たくさんこなすためでもなく、自分のペースに戻るために。
まだ試している途中だからこそ、これからも、うまくいったことだけでなく、合わなかったことも含めて書いていけたらと思っています。
忙しい毎日の中で、少しだけ静かな時間を取り戻すために。
